Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

市民の意見30について

概要
歴史

市民の意見30の会

「市民の意見30の会・東京」は、非暴力と民主的社会実現を目指す30項目の政策提言の意見広告を1989年1月16日の『朝日新聞』紙上に掲載し、その実現を目指して活動している不偏不党の市民グループです。
米国のベトナム戦争に反対して1965年に発足した反戦平和市民団体「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の流れをくみ、「殺すな」をスローガンに、強者による政治が支配している日本を変え、人びとが平和に、安全に、平等に、健康に、人間らしく生きられる国にしようと努力しています。
これまでの経緯(略史を参照)もあり、会の名称には「東京」とあり事務局も東京にありますが、現在の会員は、沖縄から北海道にまたがって存在している全国的規模の会です。事務局には常勤の有給事務員はおらず、実務はすべて他の仕事を持っているボランティアメンバーによって行なわれています。
2011年1月現在の会員数は2000名を越えさらに増加中ですが、会員の高齢化も顕著で、若い方々の参加も待望しています。あなたもぜひ、加わっていただけませんか。会はさまざまな活動をしていますが、機関誌として隔月刊の『市民の意見』を発行しています。
ご連絡くだされば、見本誌をすぐお送りします。
会費は、『ニュース』代を含めて年2,500円です。しかし、65歳以上の高齢者の方、障害をお持ちの方、長期療養中の方は、その旨お知らせくだされば2,000円となります。

市民の意見30の会・東京の略史

機関誌の『ニュース』第1号は1991年4月10日に発行されました。その年の3月18日、日本の市民は、アラビア湾岸戦争に反対して、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙に、「国際紛争は武力では解決できない」と主張する全面意見広告を出しましたが、『ニュース』はそれへのアメリカからの反響を報ずる特集でした。実際、この意見広告に対する反響は前例のないほどで、それは『「アメリカは正しい」か―湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』という460ページの記録にまとめられて出版されています。しかし、実はこれ以前にも『市民の意見30ニュース』という機関紙が4号まで発行されています。「市民の意見30の会・東京」には前史があり、現在の運動はいわば第二期にあたるものなのです。
そもそもこの会の名称、「市民の意見30」ということが、何を意味するのか、新しくこの運動に加わる人には、かなりわかりにくいものとなっています。詳しくは、1990年にこの第一期の会が発行した『強者の政治から弱者の政治へ⸺日本を変える市民の提言』という本(第三書館刊)にありますが、ごく簡単にこの前史をご紹介しましょう。

市民の意見30の会の前史・第一期

そもそもは1987年、作家の小田実さんを含む何人かの市民が、非暴力、非軍事、民主主義の社会を実現して行く上で、どのような政策が必要かを具体的にまとめてみようではないか、と相談したことから始まりました。
この問題提起は広く受け入れられ、各地でそのための討論の場が作られ、主張がまとめられていきました。そして、こうしてまとめられた提案を、日本を変えるための提言として、新聞の意見広告で発表しようということが決められました。
会の代表者は、小田実(関西)、竹内真一(名古屋)、中山千夏(東京)の三人でした。運動の連絡先は、東京と並んで、名古屋、京都、大阪、奈良、和歌山、福岡などにもうけられ、その『ニュース』は名古屋、東京、京都、大阪の事務局の回り持ちで、編集、発行されました。これが第一期の『ニュース』で、毎号各地の交代編集でしたから、レイアウトも内容もそれぞれ異なるものでした。
提言はあるときは70項目にまでなりましたが、最終的には、整理して30項目にまとめられました。一口1万円というかなり高額の募金でしたが、全国の1,000人以上の人ら1,700万円以上の基金がよせられ、提言は短い前文とあとがきをもつ30項目の主張として、1989年1月16日号の『朝日新聞』全国版に10段の意見広告として掲載されました。これが「市民の意見30」という名称の所以だったのです。

東京と関西で第二期の運動開始

意見広告が掲載されたことをもって、第一期の運動に終止符を打つことになり、あらためて、この30の提言実現をめざす運動を進める主体が、東京、関西、京都、名古屋等に、お互い協力はし合うが、それぞれ自立した市民グループとして発足しました。
現在の運動は、このときから継続されているものです。その後、京都、名古屋の運動は消滅し、現在はありません。
以来、東京に事務局をもつグループは「市民の意見30の会・東京」という名称を続けてきました。しかし、事務局は東京にあり、会合やデモなども東京で行なわれる場合が多いのですが、最初にも書きましたように、2,000名を超える会員は全国にまたがり、その後の会の意見広告運動や署名運動などは全国的規模で行なわれ、必ずしも東京という限定された地域の運動とは言えない性格をもつようになっています。
なお、関西には、「市民の意見30・関西」と いうグループが存在し、定期的な会合を開いています。

読者の倍増の努力を

1990年末には、まだ読者数は200人にも満たなかったのですが、91年9月のPKO反対意見広告(『毎日新聞』)、同年12月のカンボジアからの撤兵要求意見広告(同)の時期には500名を超え、95年8月の「戦後50年市民の不戦宣言」意見広告(『朝日新聞』)、この運動は、『〈戦後50年〉あらためて不戦でいこう!』社会評論社、1995年(2,000円)としてまとめられています。この頃に800名、さらに2002年から10年間に及ぶ毎年5月3日の憲法記念日の意見広告を新聞紙上に掲載する「市民意見広告運動」を経て現在の会員数は2,000名を超え、なお毎月増加しつつあります。
この数字は、他の市民運動体に比して、必ずしも少ない数とはいえませんが、老齢や病気、最近の不況による生活困窮などの理由で退会される方もあり、より多くの会員を得たいと思っています。
2009年の政権交代後も日米同盟の強化と在日米軍基地の固定化、自衛隊の増強と海外派兵など憲法改悪、弱肉強食の新自由主義と経済格差の拡大、原発事故が象徴する官僚と経済界が主導する経済成長優先と環境破壊など、ますます事態は深刻化しています。こうした日本社会の悪化を食い止め、弱者のための政治を実現するため、一層のご支援をお願いします。
宣伝用の見本誌も用意されていますので、ぜひ友人、知人への勧誘にご利用ください。