Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

映画紹介① 「蟻の兵隊」

2019

08/28

当会報誌の映画紹介は本野義雄編集委員により2006年8月の97号から連載が始まりました。13年間続いた連載記事ですが177号から変更の可能性があります。そこで改めてこれまでの紹介記事を順を追って掲載いたします。



監督:池谷薫、ドキュメンタリー101分

「蟻の兵隊」

あの大戦については、多くのことが語られてきた。だが、この映画を見れば、 私たちがまだほとんど何も知らないことを痛感させられる。
1924年生まれの奥村和一ら2600人の日本兵は、45年8月15日の終戦以降も中国山東省に残留を命じられた。第一軍司令官と国民党将軍との密約により八路軍との内戦に参加させられたのである。奥村の場合、3年後重傷を負い捕虜となって、6年余の抑留生活を送り、ようやく帰国を許されたのは 終戦から9年後の54年だった。

奥村ら13人の元残留兵は、01年に軍人恩給の支給を求めて提訴。だが国側は、「彼らは自らの意志で残り、戦争を続けた」と主張、戦後補償を拒む。一審、ニ審とも原告側の敗訴に終り、その間4人の原告が高齢のため世を去った。

カメラは、疲れた身体に鞭打って法廷に通う80代の老人たちを追う。裁判について話す時、彼らの眼は怒りに燃えて光る。「裁判官たちは、バカだってことですよ」。裁判官は彼らの孫の世代である。「勝手に残って戦った傭兵が、天皇陛下万歳と言って死ぬか」

奥村は、真実を証明するために単身中国に渡る。山西省の公文書館で彼が発見したのは、残留部隊の総隊長が書いた命令書だった。そこには、部隊の残留目的について、「皇国ヲ復興シ、天業ヲ恢弘スルヲ本義トス」と書かれていた。つまり、ポツダム宣言を無視し、日本軍を温存して大日本帝国の再起をはかる、というのが軍上層部の意図であり、奥村たちはこうした妄想の犠牲になったのだ。残された兵士のうち約550人が戦死、 700人が捕虜に。一方、司令官澄田某は内戦末期、戦犯として追求されるのを恐れ、偽名を使って日本に逃げ帰っている。
奥村の中国行きには、もう一つ目的があった。同じ山東省で初年兵訓練を受けた時、度胸試しとして中国人捕虜を銃剣で刺し殺した体験がある。だが、そこで会った犠牲者の肉親と話す時、彼は自分の口調や態度がいつの間にか60年前の日本兵に戻っていることに気づき、愕然とする。
帰国した奥村は、なおも当時の記憶を保つ生存者を尋ね歩くが、成果は思わしくない。「今なら、まだ生きていて、覚えている人がいっぱいいる。時間との競争です」

最近、最高裁は奥村たちの上告を棄却した。だが、真の勝利者は誰か。映像に記録されることで、彼らの訴えは後世に残ることになった。後の世代は、どちらに真実があるかをこの力強い映像を通して知ることができる。エセ愛国者や尻馬派右翼がどんなに大声を張り上げようと、ここに示された日本軍国主義の犯罪を隠しおおせることは不可能だ。私たちがなすべきことは、一人でも多くの若い世代に、この映画を見るよう勧めることである。(2006年8月)

(本野 義雄)