Do not kill anywhere anytime 市民の意見30の会 東京

映画紹介② 「チョムスキーとメディア」

2019

08/30



監督:M・アクバー、P・ウィントニック

「チョムスキーとメディア」

イラク戦争や最近の教育基本法改悪をめぐるマスメディアの報道ぶりに、歯がゆい思いをした人は多かったろう。なぜメディアは権力に弱いのか。14年前、80年代の発言を中心にまとめられたドキュメンタリーだが、チョムスキーの指摘は今日のメディア状況にぴったりあてはまる。02年、若い世代も含めて大きな反響を呼んだ「チョムスキー 9・11」と同様、講演、討論、本人へのインタビューから構成される167分の長編。

原題「合意の捏造」(Manufacturing Consent 注1)とは、民主主義国家がメディアによる大衆操作を統治の手段として駆使している現実を指す。メディアはどんなに権力から自立しているように見えても、巨大企業としての自らの境界を越えることはしない。異分子を排除し、読者や視聴者には限定された視野の範囲内でしか選択肢を与えない。そればかりか、しばしば権力の欲するイデオロギーのプロパガンダ手段となる。チョムスキーはベトナム戦争、カンボジアと東ティモールの虐殺、ニカラグアへの干渉、湾岸戦争等の実例を挙げながら、米国のメディア状況を痛烈に批判する。

一方で彼は、「米国は世界一自由で、変化の可能性の高い国」と認める(注2)。「資源は豊富、敵はいない。条件は極めて恵まれている。それなら保険や福祉の水準は世界一であるべきだがそうじゃない。幼児死亡率は先進20カ国で最悪。自由を謳歌しているが、世界で悪事をはたらく」。

80年代、チョムスキーは「ユダヤ人虐殺のガス室はなかった」と主張するフランスの歴史修正主義者R・フォリソンを「弁護した」として激しい非難を浴びた。実際は、彼の抗弁によれば、「意見を言う権利の擁護と意見そのものの擁護との違いを指摘した」彼の文章が、フォリソンの著書の「序文」として使われたということらしい。「(言論の自由を)好ましい意見だけに適用するなら、ゲッペルスもスターリンもこれを許す。不快な意見に対して認めてこそ言論の自由を守ることになる」。彼は、それが反ナチ法によるものであれ、国家がある言論を処罰すること自体が容認できないのだが、ここは意見の分かれるところかもしれない。

こうしたチョムスキーの徹底したリベラリズムは、30年代の大恐慌と社会運動、スペインの無政府主義革命とイスラエルのキブツ活動、デューイ主義の実験学校(注3)等を基盤に形成されたという。半世紀前、言語学の歴史に革命をもたらした彼の理論とその後の反体制運動者としての彼を繋ぐのは、「人間は自由によって価値ある存在となる」「大衆には、真実を見抜く力がある」という信念だ。これは、米国に辛うじて生き残った健全な民主主義を奉じる類い稀な知識人の足跡の記録であり、民主主義の価値を冷笑しない人の知的好奇心を刺激してやまない作品である。



    • 注1 同題のチョムスキーの著書の翻訳が07年2月、トランスビュー社から刊行される予定。

    • 注2 14年後の今日でも「世界一自由」と彼は言うだろうか?

    • 注3 米国のプラグマティズム哲学者J・デューイ(1859〜1952)の思想に基づき生活体験を重んじる実験学校。
      (2007年2月)




(本野 義雄)