(ニュース51号 98/12/01)


新ガイドライン ・ TMD ・ KEDO

安保再定義の「論理」

豊下楢彦

 

 去る九月二十日、ニューヨークで開かれた日米安全保障協議委員会(2プラス2)において、TMD(戦域ミサイル防衛)構想に関する共同研究に日本が参加すること、「周辺事態法」(ガイドラインの見直し)を早期に成立させること、が確認された。他方でオルブライト国務長官は、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の合意枠組みを維持発展させることの重要性を日本側に強調した。かくして日本政府は、八月末日の北朝鮮のミサイル(人工衛星)発射への対抗措置として「協力の凍結」を打ち出していたにもかかわらず、一ヶ月後の十月二十一日にはKEDOの建設費分担に関する理事会決議に署名し、十億ドル分を拠出することを決定した。TMDへの参加に関する了解覚書への署名とKEDO拠出への署名、この二つの署名こそ、今回の「ミサイル問題」をめぐる日本外交の問題性を象徴したもの、と言えるであろう。

TMDと新ガイドライン

 まず前者のTMDについてみれば、改めて米側の位置づけを確認しておかねばならない。本年初めに、ブラウン元米国防長官とアーミテージ元国防次官補が主宰する米外交問題評議会の研究会が「日米安全保障同盟への提言」を発表した。この「提言」は、いわば安保再定義の意義と重要性を日米両政府と国民に訴える、という性格をもつものであった。そして、実はその冒頭において、一九九八年度に日本が下すべき重要な政治決定として、新ガイドライン関連法案の成立と並んでTMDシステムへの参加が挙げられていたのである。しかも本論においては、ガイドライン問題以上にTMD問題が強調され、日本がTMDに参加するか否かが両国の兵器調達関係、ひいては安全保障関係の将来を占う「テストケース」と位置づけられているのである。興味深いことに、その理由として、軍事戦略上の必要性ばかりでなく、米国の納税者がTMD開発のためにすでに支払った膨大なコストの問題があからさまに挙げられているのである。

 このように、新ガイドラインとTMDとはワンセット≠ニして、日本政府が早急に決定すべき最重要の政策課題とみなされてきたのであった。しかし底なしの金融危機は、一兆円をはるかに越える巨額の財政負担が予想されるTMD計画を許容するような環境を一切与えず、八月下旬には防衛庁はTMD関係予算の来年度計上さえ断念せざるを得ないであろう、という状況に追い込まれていたのである。ところが、それからわずか三週間で事態は激変し、日本政府は世論の大きな反発を受けることなくTMDへの参加に踏み切ったのである。言うまでもなく、北朝鮮の一発の「ミサイル」が日本の政治環境を完全に一変させたのである。

 ここから、北朝鮮の「ミサイル」発射に対する米国の対応をめぐり様々な議論が出されているのである。つまり、パキスタンの核実験ではそれを阻止するためにあらゆる圧力を加えた米政府が、今回は少なくとも二週間前には情報を掴んでいたのになぜ放置≠るいは黙認≠オたのか。そのねらいは何であったのか、ということである。米朝「密約」説はともかくとして、ペンタゴンや防衛庁、外務省の関係者が懸案のTMD問題の一挙解決≠して、「金正日のプレゼント」「金正日様有り難う」とみなしていることは間違いがないところである。

対抗措置とKEDO拠出

 次にKEDOをめぐる問題であるが、日本政府は北朝鮮の「ミサイル」発射に対し直ちに抗議声明を出し、国交正常化交渉の凍結、KEDO協力の凍結、食料援助の凍結など一連の強硬な対抗措置をとった。ところが、米政府はニューヨークにおいて米朝高官会議を続け、九月十日には「包括合意」に達した。それは、KEDO枠組みの維持、朝鮮半島和平に関する四者会談の再開、軽水炉本格工事の再開、等々を確認するものであった。冒頭で触れたように、十日後の「2プラス2」でオルブライトがKEDO協力で日本側に圧力をかけたのは、この「合意」に基づいたものであった。結果として日本政府は、北朝鮮からの謝罪≠煢スも得られないままに振り上げた拳をやむなく降ろし、十億ドルの拠出を約束するところに追いこまれたのであった。新たな屈辱外交≠ニもいうべきであろうか。

 以上の経緯は、安保再定義の意味するところを改めて鮮明に示している、と言えるであろう。要するに日本に求められているのは、米国の軍事的下請け(新ガイドラインとTMD)とクレジットカード(KEDOへの拠出金)であり、戦略的な外交は日本の頭越し≠ノ米国が主導する、ということなのである。否、今回は単に日本の頭越し≠ヌころか、日本政府は北朝鮮との外交的接触さえ 切断≠キる一方で、米政府は北朝鮮との「連絡事務所」の相互開設(事実上の国交正常化)にまで進もうとしているのである。

 たしかに、その後の急速な情勢展開の中で、北朝鮮の「ミサイル」発射と核開発疑惑がもたれる地下施設問題に態度を硬化させた米議会が、軽水炉原発の完成まで米国が義務を負っている重油の供給を凍結させ、北朝鮮の対応如何ではKEDO枠組みの崩壊さえ危惧される事態になってきた。(もっとも、この事態を考えるにあたっては、八月中旬に地下施設疑惑が初めて報じられるずっと以前から米議会が重油提供に難色を示し、北朝鮮がKEDO合意の違反と非難していたことが想起されるべきであろう)こうして、九四年の危機のような軍事的対応論が再び焦点として浮上し、新ガイドラインが世論の支持を得やすい情勢が生み出されようとしている。

日本外交の「不在」

 しかし、実は今日の最大の問題は、北朝鮮の周辺諸国にあって日本だけが北朝鮮に対する独自の外交方針を持っていない、ということなのである。例えば、十一月二十一日にソウルを訪問したクリントン大統領が北朝鮮への強硬姿勢に傾いた声明を発したのに対し、金大中大統領は北朝鮮にも「肯定的態度」が見られるとし、融和的な「太陽政策」こそが「現実的で最善である」と、韓国外交の基本戦略を明快に主張した。米国と同盟関係にあっても独自外交を主張し実行することは、国際政治の常識≠ノ属することなのである。戦後外交においてこの常識≠ェ形成されてこなかったことと、日本外交の「不在」の問題とは表裏の関係にあるのであろう。

 十一月初旬にワシントンで朝鮮半島問題をめぐるシンポジウムが開かれたが、中国の研究者から日本の北朝鮮に対する外交戦略はあるのかと問われて答えに窮したものである。ただ、そこで私は九○年の金丸訪朝団をめぐる問題を指摘した。この訪朝を機に国交正常化交渉が開始されたのであったが、米政府は「事前に聞いていなかった」と不快感を表明し、北朝鮮の核疑惑の解決や日本が支払うであろう賠償金が北朝鮮の軍事拡大に使用されない保証などの条件を挙げて、日本の外務省ともども交渉の進展に圧力≠かけたのであった。こうして、突如浮上した「拉致疑惑」を契機に交渉は完全に決裂してしまったのである。米国は日本外交が独自に先行することを許さなかったのである。

 当時も現在も日本に求められているのは、韓国に見られるように、米国と同盟関係を結びつつも独自の外交戦略を形成し実行することである。ましてや日本は、戦前の植民地問題や戦時動員問題など、歴史的に清算されるべき独自の課題を北朝鮮との間で抱えているのである。ところが、「ミサイル」発射に対する日本の強硬措置について北朝鮮が、「日本がどのような態度を取ろうが最後は米国に従うであろう」と評したことがそのまま現実となった(KEDOへの拠出)ように、日本外交の「不在」は周辺諸国の常識≠ニなっているのである。

 このような外交の「不在」、あるいは北朝鮮との関係で言えば外交交渉さえ切断≠オたままで、米国との間では新ガイドラインやTMDといった軍事的関係だけを強化していく、皮肉にもこれが現在の日本の外交≠ネのである。ちょうど一年前の拙稿(「有事論」と「有事」の構図―本紙45号・97年12月1日発行)で指摘した「軍事あって外交なし」という安保再定義の「論理」が、さらに深刻なレベルで展開しているようである。

十一月二十二日脱稿

(とよした ならひこ・大学教員)