(ニュース52号 99/02/01)
「戦争による彼我の死者を考える」と題して、「市民の意見30の会・東京」主催の集会を十二月五日に東京・水道橋で開催した。約六○名の方が参加し、講演を熱心に聞き、活発に意見交換をした。小田さん、Dラミスさん、お二人の話を編集部の責任でまとめたものと、福富さんが当日の話をもとに書き下ろした稿を掲載する。
私は戦争体験として銃を撃ったことはありません。ただ、銃がいかに無力であるかということを体験したのが空襲体験です。これはニューヨークタイムズの大阪空襲の写真です。一九四五年の六月のことです。私はここに見えている大阪湾のこの辺にいて、煙に巻き込まれたりしましたが、この体験が私にとっての一つの原点です。
八月十四日、つまり敗戦の二十時間前に大阪はそれまでで最大規模の大空襲を受けています。八月十四日なんてまったく無意味な戦争です。アメリカ軍がその時、爆弾と一緒にまいたビラには「戦争は終わりました。日本政府は降伏した」と日本語で書いてあるんですね。私はもう拍子抜けして、一体なんだと…信じなかったら、二十時間経ったら戦争が終わっちゃった。
これには天皇制護持の問題が関わっています。広島、長崎の原爆投下後の八月十一日、日本政府はスイスを通じてポツダム宣言受諾の用意があることを伝えます。そこでアメリカ空軍は十二、十三日と空襲を止めました。しかし日本政府は国体の護持という条件をつけた。そこでアメリカ政府は、日本政府の正式受諾に圧力をかけるため、最大規模の空襲を大阪において行ったのです。殺された人はまったく無意味ですね。
国体の護持というとなんとなく公的な問題のように聞こえますが、要は天皇の命乞いです。しかし八月十一日のアメリカの新聞は敗戦後も天皇制は護持されると書いています。日本の上層部は当然中立国を通じてこの報道を知っており、天皇は安泰であるということを知っていて、その上で終戦に際しては、国民に向かって我が身はどうなってもいいなどと言っている。嘘八百ですね。つまり武器は自分を守らなかった。やはり爆弾を落とされる側から物を考え直せと、というのが私の原点なんです。
戦争は悪い、戦争に正義の戦争はない、だから民主主義の国は軍備を持つべきでない、というのがわれわれの常識でした。つまり、それまで日本は軍国主義の国で、一九四五年八月から民主主義の国になった。それと同時に平和憲法があるからわれわれは建て前としては軍備を持っていない。民主主義と軍備、民主主義と戦争は両立しない、とわれわれは考えてきたと思うんです。それを平和主義と呼ぶわけですが、理論としてではなく、体で現している平和主義だったと思うんですね。だから体現平和主義だと私は思うんです。
私はこの価値を貶めるつもりはありません。極めて大事なことだと思うんです。ただ、この体現平和主義の時代が今、急速に終わりつつあるということです。つまり、この体現平和主義は世界では非常識なんです。要するに軍隊は必要だし正義の戦争はある、という考え方が世界の常識なんです。現に民主主義国家と言われる国も軍隊を持ち、戦争もしています。つまり世界の非常識を常識としてわれわれは生きていた。これは非常にすばらしいことなんです。すばらしいことなんだけど、これはもう急速に終わりつつあります。
その大きな契機は湾岸戦争でした。「正義の戦争」に巻き込まれて、皆おたおたした。ことに社会党はおたおたした。朝日新聞も岩波書店も皆おたおたした。やはり市民社会を脅かす悪い奴がいるんだから、これはなんとかしなければいけないということになる。なるべく戦争はしないで平和的にやりたいが、止むを得ざる場合は武力行使をせざるを得ない。国連憲章にもそう書いてある。そこを小沢一郎は突いてきている。だから、日本はユネスコなど国連の非暴力的組織には加盟しても、国連本体からは脱退して外から国連を支援しろというのが私の年来の主張です。
ぼくはアメリカ合州国に行ったときに、軍事力のアメリカと民主主義のアメリカがあると思いました。これが私のリアリズムの根底です。アメリカは軍事面を隠しながら、最大限、民主主義の顔を日本に見せてきました。嫌な顔、つまり軍事的な側面をもろに見せたのが韓国に対してで、軍事独裁政権を支持した。日本の中でいえば沖縄に対しては軍事的側面を出した。占領政策を未だに続けている。それで日本の本土に対しては、いい顔、民主主義の側面を見せた。そういうごまかしの中でわれわれは生きてきたというのが事実なんです。
戦争は悪い、正義の戦争はない、民主主義には軍備はいらないというのが、われわれの多数派だったんです。しかし今は多数派ではなくなった。そういう冷厳な事実に私たちは直面してるんだということを、あえて申し上げたい。つまりわれわれは非常識な国なんです。だから常識的な国に戻そうというのが、普通の国にするという話なんです。
古代アテナイというのは民主主義の本場ですけれど、軍備を持って侵略を続けた国です。アメリカと同じように、四年に三年は戦争してたんです。その戦争はペレポネソス戦争とかスパルタとやる戦争ばかりではなく、アメリカが今やってるような小さな戦争を、延々とやっていたんです。そのときの論理は、われわれは市民社会を造っているが、変な奴が出てきて潰しに掛かったらどうするか。市民社会は誰が守るのか。自分たちが槍と盾をとって戦えという論理です。それが常備軍化する。市民社会の軍隊というのは市民が銃を持って戦うのだから、徴兵制が本当です。西ヨーロッパは全部徴兵制です。アメリカはたまたま今徴兵していないだけです。
近代の市民社会を形成し維持するためには、市民のサービスつまりシビル・サービスと同時にミリタリー・サービスが必要なんです。民主主義の軍隊は自分を守るのですから、民主主義こそ軍隊の強さの根源であるという、論理は非常に強いです。そして、もし私たちがミリタリー・サービスを拒否するならば、市民国家としての義務を果たしてないんだから非国民なんです。
しかし考え方が段々と進化して、やはり戦争をすればするほど悪いことが出てくるので、結局非軍事的な形で貢献するのが一番いいと言う考え方がでてきて、それを制度化したのが十九世紀終りぐらいからでてきた良心的兵役拒否です。つまりミリタリー・サービスでなくて、シビル・サービスをすることによって市民社会に貢献できるんだと。特に武器の進化と同時に、戦争を繰り返していては駄目だという考え方が出てきます。要するに古代の戦争は、今の戦争に比べれば遥かに小規模でしたが、十九世紀くらいから武器の進歩と共に、正義の戦争でも惨澹たる戦争になることが判ってくる。そして市民社会の中で、戦争に行かない、けれども市民だという立場を認めようじゃないかという動きが出てくる。初めは宗教的理由ですね。第二次世界大戦後になると、宗教的理由以外の良心的兵役拒否のステータスを認める。ドイツでもそうです、イタリアもそうです。その代わりに、ミリタリー・サービスに行かない代わりにシビル・サービスをする。だいたいシビル・サービスはミリタリー・サービスの二倍です。つまり一年だけミリタリー・サービスに行くならば、シビル・サービスは二年やる。私の友人たち、ドイツの人も、イタリアの人も例えば救急車の運転手などのシビル・サービスを選択しています。それが制度的に確立され、今やしっかりと根を張っている。そういう世界の中に、われわれはいるんだということ忘れてはいけないと思うんですね。そういう中で普通の国に急速に、嫌応なしになりつつあると思うんですね。そこに小沢一郎が乗っかり、小林よしのりが乗っかってるんですよ。われわれは今、極少数者になりつつあります。それにどういうふうに対応するかということを真剣に考える必要を一番痛感するんです。
大事なことは、どういう視点に立つかです。やはり殺される側の人たちの視点に徹底的に立つべきだと。人間は殺してはならないでは駄目なんだ。人間は殺されてはならない、を目標にしろと。殺してはならないというならば、社会の安定のためにこの人を死刑にする、ということが出てくるでしょ。人間は殺してはならないという論理、倫理では駄目なんです。人間は殺されてはならない、受け身から考え直さなきゃそれはできないですよ。殺されてはならないという側に徹底的に立つ、それが私の反戦平和の原理なんです。
戦争というのは、究極的には殺すことなんです。古代アテナイ時代に、メロスの虐殺というのがあります。スパルタとアテナイの間にあった中立国のメロスに対して、アテナイは、おまえ、俺のところに付けといった。嫌だ、私は中立を守るんだといった途端に、アテナイが侵略を始めた。大虐殺を敢行したんですね。男は皆殺しで、女子供は奴隷にした。私は『XYZ』という小説を書いたんですが、徹底して殺された奴の視点から書いた。殺された男女の側から古代のギリシャ、アテナイを見た。最近『玉砕』という小説を書いた。南洋諸島の一角のペリリュー島とアンガウン島で大玉砕したんです。ペリリュー島で案内してくれた男が、ジャングルの中の岩山のてっぺんに立ちながら彼は言うんです。そこで最後まで戦ったのは女性だった。男たちと一緒に戦ってアメリカの飛行機を落とした。怒ったアメリカ兵がばあっと撃って、降ちて死んだ。それを見たら女性やった。ペリリュー島の売春婦だったんですね。恋人が現地召集でここへ来た。恋人を追ってきた。一緒に戦って、そこで死んだ。それが伝説になって残ってる。
玉砕なんて直ぐ突撃すると思ったら大間違いですよ。彼らは、耐えて、耐えて、六十日間持ち堪えたんですね。延々と殺し合いをして、しかし何のために殺し合いをしたのか最後はわからなくなっちゃう。それが戦争の究極の姿ですよ。正に何の意味もないことで殺し合いをする。そこまで徹したら、「人間は殺されてはならない」から出発するより、仕方がないと、いうのが私の考え方です。
ベトナムで書かれたバオ・ニンの『戦争の悲しみ』というすばらしい小説があるんです。バオ・ニンというのはベトナム戦争中、ジャングルの中で十年間必死で戦った。ベトナム側の脱走兵のことも書いてます。アメリカ軍兵士が必死に戦って、サンフランシスコに帰っても誰も迎えに来なくって、家へ帰ったら、奥さんが他の男と寝てたってのがある。ベトナム側でも同じようなことが描かれています。ベトナムは明らかに勝ったんです。しかしそれは惨澹たる勝利だった。恐らく二百万人位の人が死んでるでしょう。アメリカの死傷者が五万六千人位です。ベトナムは勝ったんだけれど、もう二度と戦争をしたくないと。それをあからさまに書いたのが『戦争の悲しみ』です。
もうすぐ二十一世紀で、二十世紀を回顧する本が山とでてますね。読んでると、大体、二十世紀は進歩と殺戮の時代ですね。進歩もしたが、ものすごい殺戮をしている。歴史の中では、ベトナムがいいとか、アメリカに正義があったとかではなく、殺戮の連続であったという事実が残されているのです。二十一世紀に向かってわれわれが歩いていくならば、殺戮の世紀はご破算だということでなければいけない。そうすると人間は殺されてはならない、ということを根本において物を考えなきゃいけない。いかにそこに正義があろうと、それを振り回していたら全部破滅してしまう。だからもう一度原点に帰って、全世界的に思想の改変をすべきだと思う。人間は殺されてはならないを基本にした思想を構築する必要があると思うんですね。
私はそのことで提案をしたいと思います。私はこの国を非軍事化国家のモデルにしたい。平和憲法というと軍備だけの問題だと思われがちだけれども、例えば、災害時に自衛隊に頼っているかぎり非軍事的国家にはなれない。非軍事的なシビルな救援体制をどこの自治体も持っていません。阪神淡路大震災の被災者としていえば、例えば自衛隊隊員への補給用の頑丈な給水車が被災地にやってきた。三重県久居市と言うところからはタンクローリーみたいなでかい給水車が来てくれたんです。しかし、兵庫県芦屋市は給水車がない。そういう自治体があるかぎり自衛隊に頼らなきゃならない。
日常生活に至るまで市民社会の中で、都市計画も含めてわれわれは非軍事的な体制を何年かかっても作っていく必要がある。われわれの認識から言えば、歩いて行ける社会を作ろう、自転車で走れる社会を作ろう。それから公共住宅で、四階か五階くらいで、木が周りにあって、井戸があるような住宅をわれわれは作ろう。小学校が中心じゃなくて、老人保養所が中心にあるような社会を作る。そうするといざという時にそこが避難所になる。そういういろんな発想がある。
それから市民による軍縮というものを提案したい。手をこまねいて、憲法第九条がどうしたこうしたといっててもどうしようもない。具体的に自衛隊を減らしていくことを提案したい。どこそこにあるこの自衛隊はこんなにたくさん人がいるのか。この人員を今年はとにかく三分の二にしろと。今年はこの軍艦やめろとか。来年はこれやめろとか。現実的に調べて、この基地はなにに使っているか、ここはいらないじゃないか、ここは削れとか、そういうことを市民の側から計画を立てて、提案をしていく。自治体と一緒に協力をしてやる。そういうようなことを地道にやるしかないですね。究極の目標はもちろんゼロにすることです。でもゼロにしろと言ったって、すぐにはそうはならないです。だから非常に具体的にやっていく必要があるだろうと思うんです。積極的な提案なんです。つまり憲法論議は空洞化してるんですからね。それでは具体的に逆手をとって、減らして行く方向にわれわれが考えていく。
今、ポジティブな提案しなきゃだめです。一番大事な事は現実に即したものから原理を組み立て具体化することなんです。現実に即してということは、戦争は駄目だったという現実があるから平和憲法は出来た。原理を具体化したのが憲法第九条でしょ。憲法第九条から出発するからややこしくなるんですよ。原理はどうであったかということを考える。われわれは原理を生かしていくし、それを具体化していく。それは何かというと、非暴力的な市民社会に変える。その次は市民の軍縮をする、それから日米平和友好条約を作る、軍事的制度をやめる。そういう事を、われわれは課題としてやる必要があると思うんですね。そうしたら始めて突破口があるんじゃないかと思うんですね。ガイドライン反対、…反対と言ってても、北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ、という話になるでしょう。結局水掛け論に終わります。だからもっと違う形のものを出す必要があると思うんですよ。反対がいかんと私は言ってるんじゃなくて、反対ばっかりしてても説得力がないということを私は申し上げておきたい。こうしたほうがいいんだ、われわれはこうするんだと積極的に前へ出ないと、われわれ負けちゃう。それほど向こうの力は強いですよ。積極的な提案でわれわれはまだ十分に動けるということなんですね。そのことを私は皆さんによびかけたい。
(おだ まこと・作家)