■「市民の意見30の会・東京」とは

「市民の意見30の会・東京」とは、

 一言で言えば、「殺すな」を合言葉にし、強者による政治が支配している日本を変え、人びとが平和に、安全に、平等に、健康に、人間らしく生きられる国にしようと努力している市民運動のグループです。ここ数年、世界の各地に戦争と武力行使が続き、日本がどんどんとそれに手を貸すような事態が進んでいるだけに、今の主要な行動は、反戦を中心に展開されてきています。会の名称は、これまでの経緯があるのですが、かなりわかりにくいものになっていると私たちも思っています。「東京」とついており、事務局は、東京にありますが、決して東京や首都圏だけのグループではなく、会のメンバーは、沖縄から北海道にいたる全国にまたがって存在している全国的規模のグループです。
 事務局はありますが、常勤の有給事務員はおらず、実務は、すべて他の仕事を持っているボランティアのメンバーによって行なわれていますが、仕事は増える一方で、現在は、いささか過剰気味です。
 昨年以来この会が力を注いできた自衛隊イラク派兵反対・憲法改悪阻止の意見広告運動の結果、昨年末から会に加わる人びとが急速にふえつづけています。あなたもぜひ、加わっていただけませんか。会はさまざまな活動をしていますが、機関誌として隔月刊の『市民の意見30の会・東京ニュース』を発行しています。ご連絡くだされば、見本誌をすぐお送りします。左の欄の「ニュースから(2)」をクリックしてくだされば、最近号の主要な記事をご覧いただけます。
 会費は、『ニュース』代を含めて年2,500円です。しかし、65歳以上の高齢者の方、障害をお持ちの方、長期療養中の方は、その旨お知らせくだされば、2,000円となります。

会のメールアドレス: iken30@mwb.biglobe.ne.jp 

 「市民の意見30」という名称が生まれた経過は、以下の略史をご覧ください。

「市民の意見30の会・東京」の略史(前史も含めて)

『東京ニュース』創刊は1991年

 機関誌の『ニュース』は、左の欄の「ニュースから」のコラムにある総目次にあ りますように、第1号は1991年4月10日に発行されました。その年の3月18日、日本の市民は、湾岸戦争に反対して、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙に、「国際紛争は武力では解決できない」と主張する全面意見広告を出し ましたが、『ニュース』はそれへのアメリカからの反響を報ずる特集でした。実際、この意見広告に対する反響は前例のないほどで、それは『「アメリカは正しい」か――湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』という460ページの記録にまとめられて出版されている ます(特価千円で頒布中)。

 しかし、実は、これ以前にも『市民の意見30ニュース』という機関紙が4号まで発行されてい ます。「市民の意見30の会・東京」には前史があり、現在の運動はいわば第2期にあたるものなのです。そもそもこの会の名称、「市民の意見30」ということが、何を意味するのか、新しくこの運動に加わる人には、かなりわかりにくい ものとなっています。詳しくは、1990年にこの第一期の会が発行した『強者の政治から弱者の政治へ――日本を変える市民の提言』という本(第三書館刊)にありますが、ごく簡単にこの前史を ご紹介しましょう。

市民の意見30の会の前史・第一期

 そもそもは1987年、作家の小田実さんを含む何人かの市民が、非暴力、非軍事、民主主義の社会を実現して行く上で、どのような政策が必要かを具体的にまとめてみようではないか、と相談したことから始ま りました。

 この問題提起は広く受け入れられ、各地でそのための討論の場が作られ、主張がまとめられてい きました。そして、こうしてまとめられた提案を、日本を変えるための提言として、新聞の意見広告で発表しようということが決められました。会の代表者は、小田実(関西)、竹内真一(名古屋)、中山千夏(東京)の三人 でした。運動の連絡先は、東京と並んで、名古屋、京都、大阪、奈良、和歌山、福岡などにもうけられ、その『ニュース』は名古屋、東京、京都、大阪の事務局の回り持ちで、編集、発行され ました。これが第一期の『ニュース』で、毎号各地の交代編集でしたから、レイアウトも内容もそれぞれ異なるものでした。

 提言はあるときは70項目にまでなりましたが、最終的には、整理して30項目に まとめられました。一口1万円というかなり高額の募金でしたが、全国の1,000人以上の人から1,700万円以上の基金がよせられ、提言は短い前文とあとがきをもつ30項目の主張として、1989年1月16日号の『朝日新聞』全国版に10段の意見広告 として掲載されました。これが「市民の意見30」という名称の所以だったのです。

東京と関西で第二期の運動開始

 意見広告が掲載されたことをもって、第一期の運動に終止符を打つことになり、あらためて、この30の提言実現をめざす運動を進める主体が、東京、関西、京都、名古屋等に、お互い協力はし合うが、それぞれ自立した市民グループとして発足し ました。現在の運動は、このときから継続されているものです。(その後、京都、名古屋の運動は消滅し、現在はありません。) 以来、東京に事務局をもつグループは「市民の意見30の会・東京」という名称を続けてき ました。しかし、事務局は東京にあり、会合やデモなども東京で行なわれる場合が多いのですが、最初にもかきましたように、1,000名を超える会員は全国にまたがり、その後の 会の意見広告運動や署名運動などは全国的規模で行なわれ、必ずしも東京という限定された地域の運動とは言えない性格をもつようになってい ます。(なお、関西には、「市民の意見30・関西」というグループが存在し、定期的な会合を開いています。

読者の倍増の努力を

 1990年末には、まだ読者数は200人にも満たなかったのですが、91年9月のPKO反対意見広告(『毎日 新聞』)、同年12月のカンボジアからの撤兵要求意見広告(同)などを経て、会員数は500名を超え、95年8月の「戦後50年市民の不戦宣言」意見広告(『朝日新聞』、この運動は、『〈戦後50年〉あらためて不戦でいこう!』社会評論社、一九九五年としてまとめられてい ます。2,000円)を経て800名となり、現在は会員数は1,000名を超え、毎月増加しつつあります。この数字は、他の同種市民運動体に比して、必ずしも少ない数とはいえない ようですが、しかし、老齢や病気、最近の不況による生活困窮などの理由で退会される方もあり、安定した会の活動を維持するには、最低2,000名の会員を得たいと、現在努力中 です。しかし、憲法改悪への動きが加速し、数年以内に具体化する危険性もある改悪の「国民投票」に勝つためには、10,000人ぐらいの会にしたいと希望しています。宣伝用のニュースや見本誌も用意されてい ますので、ぜひ友人、知人への勧誘にご利用ください。


市民の意見30の会・東京