「市民意見」129号
トピック記事

米国の核戦略と日本の原発   (浅井基文)

画像  福島第一原発に非常事態が発生してから、日本社会では俄然原子力発 電(以下「原発」)問題に対する国民的関心が高まってきた。本質的に 「欠陥商品」でしかない(そう断定する根拠は後述)原発は廃止しなけ ればいけないと常々考えてきた私からすれば、福島の事態は「起こるべ くして起こった」悲劇であるが、私たちは、ただ落胆しあるいは悲憤慷 慨するだけで済ませてはならないと思う。
 即ち、この事態・悲劇から学ぶべきことを正確に学び取り、原発のない 日本・世界を実現すること、そしてより根本的には、原発を生みだしたア メリカの核政策そのものを見据えて、日米核軍事同盟そのものを清算す る(その意味において戦後日本の政治のあり方を根本から立て直す)こ と、そうすることによって21世紀を子々孫々にわたる人類の持続可能な 平和的発展への礎をつくり出す最大のチャンスとすること、要するに 「災いを転じて福となす」ことに私たちが全英知を傾注することが今何 よりも求められていることだと確信する。
【写真は事故を起こした福島第一原発 @ Air Photo Service Co. Ltd】

起こるべくして起こった福島の悲劇

 原発は、核分裂エネルギーを利用するという本質に おいて原水爆(核兵器)となんら変わるところはない。 唯一の違いは、核兵器が核分裂反応を瞬時かつ無制御 で起こさせることで発生する膨大なエネルギー(熱線、 爆風及び放射線。ただし、アメリカの公式政策では放 射線をことさらに無視・過小評価してきたことは後述) を殺戮・破壊目的に利用することを目的としているの に対し、原発は、核分裂反応を人為的に制御しながら 持続的に行わせることで生みだされるエネルギーを 利用して電力を生産するという点にある。
 今日主流の座に押し上げられている原発(ウランと プルトニウムの混合燃料を使うプルサーマル原発につ いては、ここでは触れない)に関していうならば、 そうした核分裂反応を起こす物質(核燃料)は、ウラ ン235という放射性物質(ちなみに、発電用には低 濃縮ウランを、兵器用には高濃縮ウランを使う)であり、 また、核分裂反応は放射線を放出し、使用済み核燃料 は様々な放射性物質を生みだすが、その中には長崎型 原爆で使われたプルトニウム239を大量に含む。 したがって、原発は本質的に核兵器拡散の契機を内 在している。
 最近原発廃止論が高まっていることに警戒感を強め ている保守政治家や評論家が、「日本が核兵器開発能 力・潜在的核抑止力を持つために原発は必要」という 趣旨のホンネ発言を相次いで行うようになった (例:7月14日の石原都知事、7月18 日の櫻井よしこ、 8月16日の石破・自民党政調会長)のは、彼らの主観的 意図はともかく、プルトニウムを「生産」する原

発の 危険を極める本質を客観的に裏付ける貴重な(?)も のではある。
 とにかくここでのポイントは、核兵器と原発は核分 裂エネルギーを利用する技術であり、人体及び環境 (人類の生存条件)に深刻な影響を及ぼす放射線・放射 性物質を必然的に生みだすということだ。そして福島 が重要な意味をもつのは、広島及び長崎においては残留 放射線・低線量被曝や内部被曝による影響がことさらに 無視・過小評価されてきたのに対し、今回の事態に際し てこれらの問題が非常に重大な問題であることがもはや 隠し通せなくなった、ということである。
 仮に原発が安全基準をクリアした確立した技術に基づ いているとすれば、今回のような福島の事態は起こるは ずがなかった。しかし、早くから指摘されてきたように、 @核分裂反応により、人体に深刻な影響を及ぼす放射線 を出すし、その放射線は無害化できない(放射線が自ら を弱めていくのを待つ以外にないが、半減期の長い放射 性物質であればあるほど長い期間にわたって放射線被害 の危険が持続する)、A発電によって生みだされる放射 性廃棄物(及び廃炉される原発)の最終的処分のめどは ない(ため込むしかない)、B核分裂反応を完全に人為 的に制御することは不可能、という人知では克服し得な い本質的かつ致命的な欠陥を原発は内包している。「原 発は致命的な欠陥商品」と言わなければならない理由が ここにある。福島第一原発のケースは、そのことを余りに も高すぎる犠牲を生みだして証明したということなのだ。

何故「原子力平和利用」神話か?―アメリカの核政策を見きわめる―

 紙幅が限られているので結論をいえば、アメリカの核 政策の根っこにあるのは、核(原子力)エネルギーを解放 したことは正しかった、広島・長崎に対する原爆投下は 正しかった、したがって将来的にも核兵器使用が正当化さ れる場合がある、しかも核兵器・核エネルギーを野放しに することはアメリカの安全保障を脅かすからできるだけア メリカのコントロール下におきたい、ということだ。そ のために日本を含めた同盟国に対して拡大核抑止(「核の 傘」)政策を行う(日米安保が核軍事同盟である所以)こ とになる。つまり、1945年以来の核政策を将来にわた って堅持するという結論が先にあり、そのためには広島・ 長崎に対する原爆投下は「犯してはならない誤りだった」 ことを絶対に承認しないのだ。逆に言えば、アメリカをし てその核政策を改めさせるための出発点は、アメリカをし て広島・長崎に対する原爆投下の誤りを承認させることで ある。
 多くの被爆者が広島、長崎に生存して放射線被害に苦し んでいることを認めざるを得なかったアメリカがとった政 策は、その事実を隠す(原爆がもたらす放射線被害の残酷 を極める、犯罪的・反人道的な本質が明らかになれば、その ような兵器を使用したアメリカの戦争責任が国際的に問わ れることを恐れた)とともに、「核=キノコ15雲」のイメ ージを払拭するために「原子力平和利用」計画(1953 年にアイゼンハワー

政権が打ち出したatom for peace 提案) によって原子力発電を本格的に推進することだった。国際問題研究 者の新原昭治氏がアメリカ側の文献に基づいて明らかにし ているように、その際に原発の安全性に関する検討が行われ た形跡はない(『非核の政府を求める会ニュース』月日号)。 つまり、軍事核戦略を正当化するための「イチジクの葉」 として利用されたのが「原子力平和利用」計画だった。本 質的な欠陥商品を「原子力平和利用」の目玉として売り込む 政策の必然的な帰結がスリーマイル、チェルノブイリそして 福島だったということだ。
 この点でどうしても指摘しておかなければならない事実は、 オバマ政権のもとにおいても、以上のアメリカの核政策は 微動だにしていないことだ。世界、特に日本においては、オ バマのいわゆるプラハ演説(2009年4月5日)以来、 オバマは「核のない世界」の実現を目指す大統領というイメ ージが作り上げられた(その点に関する日本を含めたマス・ メディアの責任は実に重い)。しかし、オバマ政権3年余の 実績が雄弁に証明している事実は、「核のない世界」はせい ぜいビジョンに過ぎず、核抑止力を堅持し、原発推進をはじ めとする「原子力平和利用」政策を推進する点でオバマ政権 は従前の政権となんら変化はないということだ。

アメリカの犯罪的政策に加担した日本と私たちの責任

 日本の戦後保守政治は、平和及び核にかかわって、いくつか の致命的な犯罪的政策を選択・遂行してきた。それは「仕方なし」の 平和憲法・国民主権・民主化の受け入れに始まったが、米ソ冷戦激化 を受けたアメリカの対日政策の180度の転換による、日米安保条約 締結を引き替えにした独立回復、アメリカの核政策(「拡大核抑止 (核の傘)」)の積極的受け入れに集中的に具体化された。原爆体 験に基づいて戦争放棄を定め、平和立国の方向性を打ち出した日本国 憲法は、戦後保守政治によって一貫して目の敵扱いされてきた。一年 余の政権運営が余すところなく明らかにしたちは脱原発によってのみ たように、民主党政治も核安保政策において自民党政治と何ら変わると ころはない。
 しかし、広島・長崎が人類に残した最大の歴史的教訓は、戦争はもはや あり得ない・あってはならない政策的選択肢であるということ、福島が今 改めて語っていることは「原子力の平和利用」もまたあり得ないというこ とだ。広島・長崎を体験した私たち日本人がなすべきは、アメリカをして核固執 政策を改めさせ

るこ るこ と、そのためにも「核兵器の使用は正当化される場合 がある」とする出発点にある発想の誤りをアメリカ自身に認識させること である。そして、「原子力平和利用」という考え方は成り立ち得ない神話 であり、私たちは脱原発によってのみ21世紀以後の人類の明るい展望を切 り開くことができるということを、日本こそが世界の先頭に立って実践し て証明することでなければならない。そのためには、日米核軍事同盟を清 算し、平和憲法に基づいて戦後日本政治のあり方を根本から改めることが 求められる。福島の悲劇的教訓を生かすのはこの道をおいてほかにはない。

あさい・もとふみ/1963年3月、東京大学法学部中退。同年4月、 外務省入省。国際協定課長など国内外の勤務を経て1990年3月外務省 辞職。
日本大学法学部教授、明治学院大学国際学部教授を経て、2005年4月 から本年3月まで広島市立大学広島平和研究所所長)

米国に追従するTPP参加   (大野和興)

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日米首脳会談で迫られた宿題

 TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加に向けて、 野田政権の異様に前のめりの姿勢が目立つ。こ の協定、自由貿易は良いものだという政府や経済界 と同じ前提に立って分析しても、日本経済の得には ならないばかりでなく、マイナスに作用することも 十分に考えられる。それなのになぜいまTPPなのか。 そのことを考えてみる。
 9月22日、首相就任後の初めての野田とオバマの出 会いは面白かった。にこやかに野田を迎え、二人は 握手し椅子に座る。二言三 言。オバマ大統領がにこやかだったのはここまで。 一瞬にして厳しい表情を貼り付けたオバマが何やら 野田にいう。テレビの映像はここで切れるのだが、そ の後の問答はおおよそ想像がつく。
 ぐいと顔を野田に近づけたオバマは、開口一番「普天間はどうする つもりだ。早く結果を出せ」とまずかました。続いて、 「前からアメリの牛肉は安全だといってるだろう。 ヵ月以下の若牛の肉しか買わないなんてせこいこともうやめろよ。 早く輸入制限を撤廃しろ」とぐっと声を落として迫った。

そして 最後。やや声の調子を上げ、「TPPはどうした。まさか忘れてる んじゃないだろうな。震災なんぞ言い訳にならないぞ」。 どぎまぎ した野田はおでこをピシャンと叩いて、「恐 れ入りやした。へえへえ、なんとかします」。 大筋、こんなところでまちがいないはずだ。 読売新聞はさっそく9月23日の社説で「同盟 23 深化へ『結果』を出す時だ」と煽り、TP Pについて「月(APECホノルル首脳会議 ) 11 が日本参加決断の期限」と尻を叩いた。

歩調を合わす経団連とマスコミ

 聞きなれないこのTPPという言葉が政治日、菅前 首相による衆議院所信表明においてであった。TPP は参加国の間で貿易・投資・企業活動の徹底した自 由化を進めようというもので、ここへの参加は、農 業、労働や環境、人々の人権や生存権にからむ公 共サービス、食の安全など国民生活の隅々にまで影 響を与える。それまで政府部内でも国会でも公には ほとんど議論された経過はなかったが、経済界は早 速歓迎の意を表し、メディアには「このままTPPの協 議に参加しなければ日本は滅んでしまう」という論調 があふれた。その矢先、3・11が襲った。この未曽有 の危機に、TPP論議は先延ばしとなったが、それも いっときで、大震災後1ヵ月もたつと、またぞろTPP を進めろという掛け声がかしましくなった。

日本経団連は4月日、日本の通商戦略に関する提 言を発表した。提言は、大震災後、論議が停滞して いるTPPについて、「早期参加は依然重要な政策課 題」としたうえで、「震災後の経済復興に向けたグロー バルな事業展開、円滑なサプライチェーンの構築 に不可欠」と主張。参加しなければ「国内生産拠点 がTPP参加国に移転してしまう」と、脅しとも見える 言及をしている。続いてマスメディアによるTPP推 進の大合唱が再びはじまった。その第一陣が5月15日 の読売新聞の社説、「TPP参加で復興に弾みを」で ある。同社説は「自由貿易を拡大して、経済成長を 実現することが東日本大震災の復興にも欠かせな い」という書き出しで始まるものだ。大手新聞、テレビ がそのあとを追った。

米国主導のアジア経済戦略

 TPPはもともとシンガポール、ニュージーランド、チ リ、ブルネイという小国が集まって2006年に発効し た地域的な自由貿易協定(FTA)であった。特徴は モノとカネの動きについて徹底した自由化路線を打 ち出していることだ。貿易については例外を認めず 全品目について関税を撤廃することを打ち出し、さら に公共サービス、政府調達、知的所有権、人の移 動なども包み込む包括的協定である。内容が過激 割に注目されなかったのは、関係国が極めて小 国であり、影響力も小さいとみられていたからだが、 2009年11月にシンガポールで開催されたAPEC (アジア太平洋経済協力会議)で米国のオバマ大統領が突然参 加を表明、注目を集める存在となった。米国に続い てオーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが現 在参加交渉に入っている。
 米国の参加を境に、小国どうしの連携をめざすもの だった同協定は大きく性格を変えた。徹底した自由

化路線を維持しながら、米国が主導する広域経済連 携をめざす存在になった。さらに2010年月に横浜で 開かれたAPEC首脳会談で、APEC参加ヵ国を枠 組みとするアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を実 現するための土台として「ASEAN(東南アジア諸国 連合)+3」、「ASEAN+6」と並んでTPPが位置づ けられた。
 世界の成長センターとしてこれからの世界経済を 先導するとされている東アジア(北東アジア・東南ア ジア)の経済連携をめぐっては、米国と中国が主導権 をめぐってしのぎを削っている。しかし、この地域では アメリカの影は薄く、中国が主導権を握り始めている のが実態だ。そんな米国にとってTPPこそが自らが 自在にふるまえる場なのである。TPPを言い出した 菅前政権のTPP論議はこうした政治力学の中の選 択なのだということを押さえておきたい。

日米同盟とTPP

 メディアの動向にそれはよくあらわれている。先鞭 を切ったのは朝日新聞であった。菅首相(当時)が国 会で発言した直後の月8日、朝日はワシントンで米 外交問題評議会と共催で日米同盟に関するシンポ ジウムを開催、パネリストで出席した船橋洋一主筆 (当時)は、「(日米同盟の課題の一つは)TPPに日 本も参画し、日米が提携して『自由で開かれた国際 秩序』を作ることだ」と発言している。11月には読売 新聞が同紙の看板コラム「地球を読む」に葛西敬之J R東海会長を登場させ、「日米同盟はまさにわが国 安全保障の基軸であり、TPPはその展開形である。 速やかに参加し、米国とともに枠組みづくりに名乗り を上げるべきだ」と発言させている。
 最近では、読売 新聞の月6日社説が「(TPPは)膨張する中国をけ ん制することにもつながろう」と書き、TPPは経済に 軍事を絡めた中国包囲網であることを明確に述べて いる。民主党政権にとっては、普天間移設問題で揺 らぎ、尖閣での日中衝突でその効用を再認識させら れた日米同盟を立て直す切り札だったのだ。

 TPPの本来の対象である経済に限ってみれば、効 用よりも弊害が目立つ。成長のアジアのカギを握る 中国は参加の意思を全く示していない。韓国は米国 議会がやっと批准した韓米FTAで野党の反対にあい 立ち往生している現状で、TPPは全く念頭にない。アジ アの経済大国中国も韓国も、そしてインドもTPP には関心を示していないのが実情だ。
 経済からのみ考えたら、TPPよりも日中韓にASE AN、インドを加えた自由貿易圏をめざすほうがよほ ど効率的だしうまみがある。経済的意味はほとんど なく、逆に農業や食の安全、労働や公共サービスな ど国民の生存権にとって厄介事を背負うことのほう が大きいTPPに政官経そしてマスメディアが血道を 上げる理由は、アメリカの戦略への追随という以外 に考えられない。そして、その底流を探っていくと、日 米安保条約の経済条項にゆきつく。日米安保のもと で、軍事と経済はもともと一体のものであった。その 意味で、沖縄・核・TPPもまた、一体のものとして私 たちは捉えなければならないのだと思う。

おおの・かずおき/農業記者 )