正義の戦争はない    

吉川勇一

 「正義の戦争はない」というのが私を含め市民の意見30の会・東京の立場です。私たちはイラク湾岸戦争時に、米NYタイムズ紙へ「国際紛争は武力では解決できない」という反戦意見広告を出した。「そこに不正義があるから、正義の戦争に出かけていく、これはダメだ」、そもそも「正義の戦争がある」という立場はとらないのだ。

 では、政府と民衆の戦争(内戦)や植民地解放戦争ではどうなのか。ベトナム戦争のように、侵略した米国は不正義で、侵略されたベトナム人民の抵抗は正義である、という場合があることは認める。また例えば合州国政府と先住民族の戦いにおいても、双方の武力をフィフティーフィフティーに悪いとは言わない。従って一切の武力を認めないとは私は言わない。しかし「私自身は(武力抵抗は)やらない」また「日本には認めない。仮に侵略されても、軍事力では戦わない」。ただしこれを「他国には押し付けない」。そうした条件をつけた上で「正義の戦争はない」というのが私の立場だ。

 昨年来、アメリカは様々な口実をつけて、イラクへの爆撃を続けている(別項参照)、ここには正義など一切ない。今、私たちの当時の主張が正しかったことは明らかだ。

 多木浩二『戦争論』(岩波新書)は非常に興味深い本だが、「コソボ紛争は敵国の一般民衆を殺さなくなった未来型戦争になりつつある(ピンポイント爆撃の正確さ)」という指摘にかんしては、一般民衆も多数殺されており、事実誤認だと批判したい。一方、湾岸戦争、とくにコソボの事態では、攻撃する側の軍隊が死ぬことが非常に少なくなったことは、杉原氏の指摘のとおりだが、そのため、米国の為政者は、国民に戦争の大義を説得する必要がなくなり、実に恣意的に戦争を始められるようになった、とバーデキーは指摘(『ニュース』55号)している。この方が重大な点だ、。

 一方、私たち日本が巻きこまれる戦争は今後どうなるか。コソボ空爆時のイタリアの行動がそれを示している。イタリア共和国憲法第十一条に「…国際紛争を解決する方法として戦争を否認し…」と、日本の九条によく似た条項があるのだが、イタリアはコソボ爆撃に参戦する。当初、伊政府の言い分は、「これは宣戦布告もなく戦争ではない、攻撃はしない、後方支援のみ」だった。ところが実際は、イタリアの民間空港を攻撃に利用させ、ついには爆撃にも参加してしまう(ユーゴ軍が越境してくる危険があるという口実で)。周辺事態法後の日本は今後、これと同様のことを「正義」の理由をつけて行なうと予想される。 

 以前の当会主催「非武装にこだわる」集会(96年)で、「ヒトラーやフセインのようなならず者に対してどうするのか」の問いに、講師の海老坂武は「どうしようもない、見ているより仕方ない」と答えた(『ニュース』36号)。これはチョムスキーの「害になることはしない」に通ずる(『ニュース』54号参照)。ただし海老坂はこれに付け加え、「どうするのか」という問いの前に、そのフセインに武器を大量輸出し戦争の力を付けさせたのは誰か、米、仏、ロ、中などの大国だと指摘した。東チモールでのインドネシア国軍の行為が問題にされたが、それまでインドネシアに大量に武器を売っていたのは西欧大国ではないか。このようにもう少し時間的に大きなスパンで考察すべきだ。

 別の機会の講演会で、周辺事態法と関連して、私にも「北朝鮮が攻めてきたらどうする? 在韓日本人を救出するためには福岡空港利用は必須で、民間空港を使うなとは言えないのではないか」といった類の質問が出た。「攻めてきたらどうする」は問題の立て方がそもそもおかしい、戦争は一旦始まってしまえばどうしようもない。在韓の米国人、日本人だけで二〇万以上もいる。それを運ぶために、いったい何人乗りの輸送機が何機、福岡など民間空港へ往復すればいいと思っているのか。どうやっても不可能だ。「攻めてきたらどうするか」ではなく、「戦争が起きないようにするにはどうするか」である。また軍隊自体をどうするか、軍産複合体をどう考えるのか、武器を売ったのは誰か(ベトナム戦争時のナパーム騨や誘導爆弾の先頭につけられたTVカメラなどを日本も生産した)、そして日米安保条約の問題等々、そういったことを一つ一つ今、検証していく必要がある。

 「正義の戦争というものはない」「紛争は武力では解決できない」これに尽きる。

 まとめれば、「人民の抵抗権(手段)を人民自身があらかじめ制限する必要はない。」ただし「私は武器をもって戦わない」、しかし「(これを)他国、他民族には押し付けない。」結局、「殺すな」の原理に立つしかない、日本は「殺してはいけない、武器を作ってはいけない」、「非暴力でいくしかない」、「武力に依らない解決しかない」というのが私の立場だ。

 ただし、この非暴力ということを無抵抗だと勘違いする人が少なくない。そうではないのだ。いま、「日の丸・君が代」問題で、私たちは市民的不服従行動(非暴力直接行動)を呼びかけている。これは無抵抗の正反対だ。大変勇気のいる抵抗であり、ガンジーのあの抵抗を見たらよい。今後の運動が大いに取り入れるべき手段だろう。 

(まとめ : 古屋修)